一人旅

1.天神駅
九州に一人旅をしたのは、甲斐よしひろが出演するセイヤングとラジオ番組で中洲の喜柳という屋台の話を聞いたからである。故郷を最後に訪ねようというのは、ルーツや故郷に残してきた母ちゃんの話ばかりが理由ではないのだろう。決別のような別れだと言われたが、実際はコンサートから締め出されたということだった。気づかず何度かその後もコンサートに行ったことで、そのずっと後になってからも真夜中のコンサートテレビ中継のようなテレビから片時も離れない日々というものを送る羽目になった。天神駅から九州の旅は始まった。駅にあった飾り時計に感動した。小さな人形やオルゴールなどの飾り時計が、その頃、出かけた様々な街で見かける感動ものだった。飾り時計や炭火焼きの煙や大型犬や花を抱えて歩くことやそんな日常の風景に感動したものだ。

2.唐津
天神駅で乗り換え唐津に向かった。ガイドブックに焼き物の街とあり行ってみたのだ。古い田舎町の風情のようなものが漂う。アーケードを一人歩く。焼き物屋を幾つか覗き湯飲み茶碗を購入した。一人旅でお土産はご法度だな。ことあるごとに痛感することである。陶器は割れてしまうものなので、大概後に残らない。購入した絵皿や湯飲み茶碗は、やはり割れてしまった。覆水盆に返らずと言うが、割れた湯飲み茶碗の破片を片付ける時に渦巻く敗北感のようなものの正体が、一人旅というものにあるらしい。割れた破片から復元した湯飲み茶碗で暮らしているという話をよくきくのだが、そんなことばかりが勝敗らしい。人間には、わかりにくい勝敗による敗北感というものが、不幸に追いかけられた理由だというが。殺伐としたものだ。

3.立神石
唐津からバスで呼子へ向かった。呼子という地名から様々なことを想像していたのだが、立神石という夫婦岩があるばかりである。岩を夫婦に見立てていることや呼ぶ子という地名に日本の田舎の歴史のようなものがある。夫婦岩の旦那の岩で妻の岩を叩き砕いた!という逸話が長い。脈々とした夫婦間の殺意として語り継がれていたものらしいのだが、妻の顔がわからなくなるほど叩き潰す理由はなんであるか?叩き潰した後の首なしを朽ち果てるまで愛する理由はどこにあるのか?

4.風が見える丘公園
呼子からタクシーで風が見える丘公園に行った。風が見えるという名前から夢想ばかりが膨らみ行ってみたのだが、人のいない寂しい景色に茫然とした。風車がポツンと風に回るばかりの丘である。空を見上げた。絶望と人は述べたが、そうではなかった。空を見上げた、吹き抜ける風を黙って一人眺めていた。飛び交う鳥ばかりが翼を広げたが、地にありて風に吹かれることが生きている証。遮るもののない空を見上げ自由ばかりに酔いしれた


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